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リビング葬

2月1日 父が83歳で永眠しました。
10ヶ月の入院、何度も山を乗り越え頑張ってくれた父にありがとうの感謝気持ちと
やっと楽になれたね!との思いで涙は出ませんでした。

葬儀は生前から父とも話していて無宗教なのでお通夜→偲ぶ会、告別式→お別れ会とし
本当に親しい親族のみで行われました。
家族葬専用の葬儀式場で34畳のリビング、20畳のキッチン&ダイニング、10畳の和室
クローゼット、浴室、トイレ2ヶ所とゆったりとしてます。
父は菊など花を育てるのが好きだったので花をいっぱい飾り
父との思い出の写真もたくさん飾ったリビング葬です。
キッチンにはたくさんのお料理とお酒が並び、今まで大好きなお酒が飲めなかった
父の写真の横にもお酒やお料理を並べ皆さんとお酒を飲みながら父との思い出話などを
していると遺影の父が笑って参加してるように感じました。
3日の偲ぶ会は9時頃まで皆さんと過ごしました。

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3日夜は、和室の部屋で母と弟と3人で休みました。
祭壇周りは洋風のお花、室内のあちこちに色んな種類の菊の花が飾ってあります。

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4日は、食事の後お別れ会で献花をし最後に飾ったあった花を全部棺に入れたので
まるでお花畑で父が眠っているようでした。
最後に綿にふくませたお酒を口元にあげると口が濡れて少し開いたのか
プクプクと小さな泡が出て本当に父が飲んでいるようでした。
これで本当に父の姿を見るのが最後になってしまうと思ったら涙が止まりませんでした。

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葬儀が終わり父の遺骨と母と弟と実家に帰りました。
「お父さん、10ヶ月ぶりに家に帰る事が出来たね!」

亡くなる前日、父の見舞いに行くと呼吸が早くゼイゼイと苦しそうで目は開けていたけど
話す事は出来なかった。
また肺炎かな? 「充分頑張ったから、もう楽になっていいよ。お母さんの事は大丈夫だから!」
と心の中で思っていました。
父が苦しそうな時、私はいつも心の中でそうつぶやいていた。

3年前に子供の居ない一人暮らしの叔母(父の姉)が亡くなった事もあり
父とは生前から延命治療はしない事や戒名はいらない事など話していました。
でも実際には入院すると中心静脈カテーテルで高栄養の液体を首から注入し
ベッドからの転倒防止や点滴の針を抜かないようにと身体拘束されてしまう。
治療を断れば退院させられ、いつ順番が回ってくるかわからない特養をまち
自宅で介護するか有料老人ホームを探すか・・・(実際に探してみました)
ケアマネとも相談したが自宅の近くで長期入院出来る病院があるだけでも
家族にとって良い事だとの結論になりました。

今日(2月14日)の朝日新聞のフロントランナーに医師の石飛幸三さんの
「平穏な最期」特養で看取るというのがありました。
「医療の押しつけ」を避けた「自然な看取り」、終末期の延命の事が書いてありました。
老衰の終末期には栄養も水分も必要としません。本人が無理なく受け付けるだけ
食べさせていれば、次第に眠る時間が長くなり最後は穏やかに息を引き取ります。
点滴も心臓に負担をかけるだけで肺に水がたまってタンも出る。麻酔しないで
吸引すれば苦しい。
と書いてありました。
父は入院前の状態が脱水、低栄養で1日の大半は寝ていて肝臓や肺の状態も悪く
入院してからは1ヶ月ほどは口から食べていましたが誤嚥で肺炎をおこし
点滴だけになり毎日のタンの吸引と歯磨きをとても嫌がっていました。
延命についての知識があまりなく、胃ろうはしない、心肺停止状態になった場合でも
心臓マッサージや気管内挿入と人口呼吸器はしないと担当医とは話はしていましたが
新聞を読んで父に平穏な最期を迎えさせてあげられなかった事はとても残念でしたが
父が自分の最期を通して私に教えてくれたのだと思います。
母の時には平穏な最期を迎えられるようにこの経験を生かしていかなくては・・・。
これからは、一人残った母に寄り添い心のケアをしていこうと思います。
私が親の年代になったその時に、私も平穏な最期が迎えられるように。。。
でも、子供がいない私達はどうなる?! 自分達の事は自分達でするしかない!!



葬儀後、実家に泊まりに行ったり片づけをしたりやる事がいっぱいでまだ落ち着きませんが
ブログは私の日記なので葬儀の事も今日2月14日にアップしました。





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